目次
1.はじめに
2.脳卒中とは何か
虚血性脳卒中
出血性脳卒中
一過性脳虚血発作
再発性卒中
3.脳卒中と気づくには
4.脳卒中の原因を特定するには
急性期脳卒中の画像診断
5.脳卒中の危険のある人とは
修正不可能な危険因子
「脳卒中の帯」
その他の危険因子
高血圧症
心臓疾患
血清コレステロール値
糖尿病
修正可能な生活習慣の危険因子
頭頚部の外傷
感染症
遺伝的因子
治療薬
手術治療
リハビリ治療
6.脳卒中によってどんな後遺症外がのこるのか
7.女性にはどういった危険が伴うか
8.子供たちの脳卒中はあるか
9.NINCDSにおいてどんな研究が行われているか
臨床試験
NINCDSが支援している臨床試験2007年4月
最近完結した臨床試験の結果
現在進行中の試験の予備結果
進行中の臨床試験
10.どんな治療がありますか
11.付記
1.はじめに
2400年以上の昔、医学の父ヒポクラテスは、突然発症する麻痺を脳卒中として認識し、その記述をしています。つい最近まで現代医学はこの疾患に対して殆ど無力でしたが、今や脳卒中医学は日々進歩し、新しい効果的な治療が開発されています。最近は、脳卒中を起こしても迅速な治療が行われれば、殆ど障害を残さずに発作から回復できることがあります。近年まではとても口にできなかった希望という言葉を、医師たちは脳卒中患者とその家族に与えることができるようになったのです。
古の時代、脳卒中はapoplexy(突然麻痺が発生して倒れる患者を示す一般的医学用語)と呼ばれておりました。突然に発生する麻痺の原因には数多くの種類があるので、apoplexyという用語は特定の診断や原因を意味するものではありませんでした。医師たちには脳卒中の原因についての知識が殆ど無かったので、ただ唯一の治療といえば、発作を自然経過に任せ患者に食事を与え介護をすることでした。
脳卒中の病理学的徴候を初めて研究したのは、ヨハン・ヤコブ・ウェプファーでした。1620年スイスのシャフハウゼンに生まれたウェプファーは医学を勉強し、脳卒中で死亡した患者を解剖することによって、脳内の出血を初めて見つけました。彼は解剖学の研究を通じて、脳に血液を供給する頚動脈と椎骨動脈の知識を獲得しました。彼は脳出血が原因となる脳卒中に加え、脳に血液を供給する主幹動脈の閉塞も脳卒中の原因となりうることを初めて示唆しました。このような経緯で、脳卒中は脳血管障害と呼ばれるようになりました。
その後医学はウェプファーの仮説を裏付けてきましたが、つい最近まで医師たちは治療として殆ど何もすることができませんでした。この20年以上の間に、国立神経疾患脳卒中研究所(NINCDS)の支援するものも含め、数多くの基礎的および臨床的研究者たちが脳卒中について多くを学んできました。彼らは、この疾患の主要な危険因子を同定し、手術治療や予防のための内服治療の技術を発展させました。しかしなんと言っても脳卒中分野の進歩の中で注目すべきなことは、症状発症後の数時間以内に投与することで、脳卒中の臨床経過を阻止できる可能性を秘めた薬剤が認可されたことです。
動物実験で示されるとおり、脳の障害は数分間の脳卒中で起こりますし、また1時間という短時間の経過で不可逆的となってしまいます。人間では脳卒中が起こるとすぐに脳の障害が始まり、その後何日間も持続します。最も普通に見られる脳卒中の治療においても、その最適な治療のタイミングの幅が極めて短いものであることを、今学者たちは知っています。こうした脳血管障害の分野での学術的進歩によって、脳卒中患者たちには死を免れたり回復したりするチャンスが訪れました。
合衆国における脳卒中の経費
合衆国における脳卒中の全経費:推定430億ドル/年
介護と治療に対する直接経費:推定280億ドル/年
失われる生産性など間接的経費:推定150億ドル/年
脳卒中発症後の90日間にかかる平均的経費:15000ドル
患者のうち10%の90日間にかかる経費:35000ドル
最初の90日間の経費の内訳
初回入院費:43%
リハビリテーション:16%
医師の費用:14%
再入院の費用:14%
薬その他:13%
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2.脳卒中とは何か
脳の一部に血液を供給する血管が突然閉塞したとき、または脳の血管が破れて血液が脳細胞の周囲に流出したときに脳卒中が発症します。心臓の血流障害が生じた時に心臓発作と言うのと同じように、脳の血流障害や出血を起こしたときには「脳発作」と言います。
血液から酸素や栄養分が供給されなくなったとき、脳の内部や周囲に突然の出血が発生して脳細胞が障害を受けたときに、それらの脳細胞は死んでいきます。虚血という言葉は、血流が不十分なために脳細胞に必要な酸素や養分が足りない状態を意味します。虚血は最終的に梗塞となりますが、この梗塞巣では脳細胞が死んで、その後障害を受けた部分は液体の貯留した空洞となります。
脳の血流が障害を受けるとすぐに死んでいく細胞もありますが、死の危険にさらされて生きている細胞もあります。こうした生きるか死ぬかの危機に瀕した細胞はペナンブラと呼ばれる領域を形成しますが、数時間の経過中、死ぬか生きるかの瀬戸際を行ったり来たりします。治療が間に合えば、こうした細胞は助かる可能性があります。ペナンブラについては付記の部分に詳説してあります。
脳卒中は脳の見えないところで発症しますが、その徴候は容易に目で見ることができます。こうした徴候には、体の片側に生じた突然の痺れや脱力、急激に起こる発話と言語理解の混乱や障害、片側か両側の視力障害、突然の歩行障害、めまい、平衡感覚の喪失、突然発症の原因不明の激しい頭痛などがあります。脳卒中の徴候はすべてが急激に発症し、複数の症状が同時に起こることがよくあります。それがゆえにその他の原因でおこるめまいや頭痛とは、明確に区別することができます。こうした症候は脳卒中が発症した事を示すとともに、医学的治療が直ちに必要とされることを意味します。
脳卒中には二つのタイプがあり、ひとつは脳の血管の閉塞による虚血性のもので、もうひとつは脳内や周囲に生じた出血が原因となる出血性のものです。
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虚血性脳卒中
虚血性脳卒中は、脳に血液を供給する血管が閉塞することによって突然に血流が減少するか停止し、最終的に脳梗塞が生じることで発症します。このタイプは脳卒中全体の約80%を占めています。動脈閉塞とそれによる脳梗塞の一番多い原因は、血栓と呼ばれるものです。血栓の形成は動脈と静脈の出血を止め、その部分の修復を助けるという意味において、肉体全域には必要で有益な作用です。しかし動脈内という間違った場所に血栓が形成されると、正常な血流が妨げられて膨大な傷害の原因となりえます。血栓形成による問題は年齢とともに頻度が上昇します。
血栓は、二つの過程を経て虚血や梗塞を起こします。脳とは別の身体の部分に生じた血栓は、血管の中を移動して脳の動脈に詰まることがあります。この自由に移動する血栓を塞栓と呼びますが、心臓の中によくできます。塞栓による脳梗塞は、塞栓性卒中と呼ばれています。もうひとつの虚血性脳卒中は血栓性脳卒中と呼ばれていますが、この場合血栓は、血流を妨げるほどの大きさに成長するまで一本の脳動脈の中にはりついています。
虚血性脳卒中は、狭窄、即ちプラーク(コレステロールやその他の脂質を含む脂肪混成物質)と血管壁にできる血栓の形成により動脈内空が狭くなること、によっても起こります。狭窄は大きな血管にも小さな血管にも生じますので、これらをそれぞれ大血管病変、小血管病変とよびます。小血管病変が原因となる脳卒中は、極めて小さな梗塞ができるので、「隙間」とか「空隙」を意味するフランス語の"lacune" が語源となってラクナ梗塞とよく呼ばれています。
狭窄を起こす最も多い原因は粥状硬化です。この粥状硬化の場合、大から中サイズの血管の内壁に沿ってプラークが形成され、その結果動脈壁の肥厚、硬化、弾力性の低下が生じて血流が低下します。コレステロールや他の脂質の脳卒中リスクにおける役割については、「脳卒中の危険のある人とは」のセクションの中のコレステロールの部分で詳しく説明します。
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出血性卒中
健康に機能している脳の中では、神経細胞が直接血液と接触することはありません。神経細胞に必要な血液中の酸素と栄養素は、脳の毛細血管の薄い壁を通過して神経細胞に届けられます。神経膠細胞(神経細胞の支持と防御に作用する)は血液脳関門というものを形成しますが、これは血管や毛細血管を取り巻く緻密な網細工のようなもので、血液成分の神経細胞への通過を制御しているのです。
脳内の動脈が破綻すると血液は周辺組織のなかに横溢し、血液の供給を乱すばかりでなく、神経細胞が機能するのに不可欠な微妙な化学物質のバランスを混乱させます。これが出血性脳卒中です。こうした脳卒中は全体の約20%を占めています。
出血はいくつかの過程で起きます。頻度の高い一つの原因に、動脈壁が脆弱で皮薄な部分にできる動脈瘤からの出血があります。時間経過とともに、こうした脆弱な部分は高い血圧に曝されることによって引き伸ばされ、風船のように膨らみます。このように膨らんだ動脈瘤の薄い壁が破裂して、血液は脳組織周辺の空間に溢れ出します。
動脈壁が裂けたときにも出血が生じます。プラークの蓄積した動脈壁は結果的にその弾力性を失い、脆くひ弱になって裂けやすくなります。高血圧症(血圧の高い状態)は、脆弱な動脈壁が破れて脳組織に出血する危険性を高めます。
脳動静脈奇形(AVM)を持つ人では、やはり出血性脳卒中を起こす危険が高いといえます。AVMというのは脳内に異常な血管や毛細血管の集積したもので、血管壁が薄く破裂しやすいわけです。
破綻した脳動脈から出た血液は、脳実質内か脳組織周辺の空間に溢れ出します。脳内出血は、脳内の血管から血液が脳自体の中に出た時に生じます。くも膜下出血の場合には、脳の外膜であるくも膜の下層から出血し、脳を取り巻いている薄く液体の貯留した空間へ出血します。
くも膜下腔というのは、くも膜とその下層の軟膜を分けている空間のことです。そこには脳の表層を栄養する小血管とともに、透明な液体(脳脊髄液:CSF)が満たされています。くも膜下出血の場合には、このくも膜下腔の中にある小動脈が破綻し、血液が溢れ出して脳脊髄液を汚染する結果となります。CSFの流れは脳が占める空間の全体に及んでいますので、くも膜下出血が発生すると脳全体に甚大なダメージを与えます。実際くも膜下出血は、脳卒中の中で最も死亡率の高い疾患となっています。
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一過性脳虚血発作
一過性脳虚血発作(TIA)は時に小脳卒中と呼ばれていますが、脳卒中と同じように発症するにも拘らず、はっきりとした自覚症状や欠落症状を残さずに回復します。TIAの発症は、その患者がより深刻で重症な脳卒中を起こす危険の高いことを警告しています。毎年約50000人のアメリカ人がTIAを発症し、その中の1/3はその後に急性の脳卒中を患っています。他の危険因子が加わると、脳卒中の再発率が高まります。TIAの平均持続時間は数分間です。殆どのTIAでは、症状は1時間以内に消え去ります。症状が単なるTIAで終わるのか、それとも永続して死や後遺症につながるのかを予測する方法はありません。脳卒中のすべての症状が緊急を要するものであり、症状が消えるかも知れないと見守ることはするべきでないと肝に銘じてください。
再発性脳卒中
再発性の脳卒中は頻度が高く、最初の脳卒中から回復した人の約25%が5年以内に新たな脳卒中を発症します。再発性の脳卒中は後遺障害や死亡の大きな原因となっており、脳卒中を繰り返すに従って重度の後遺障害や死亡の危険は高まります。再発性脳卒中の危険性は脳卒中を起こした直後に最も高く、時間とともに低下していきます。脳卒中患者の3%は最初の発作から30日以内に再発し、また脳卒中の再発患者の約1/3は初回の発作から2年以内に発症しています。
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3.脳卒中と気づくには
脳卒中の症状は突然に起こります。こうした自覚症状に注意して、自分自身や周囲の人たちのために迅速な対応ができるようにして下さい。
*特に体の片側に生じる、突然に起こる顔、腕、足のしびれや脱力
*突然に起こる混乱、会話における発話と理解の障害
*片側あるいは両側の突然に生じる視力障害
*突然に起こる歩行障害、めまい、平衡感覚の消失
*突然に起こる原因不明の激しい頭痛
もしこうした脳卒中の症状をあなた自身や知人が経験したならば、待っていてはいけません。直ちに119番に通報してください。今では病院で施行される脳卒中のための効果的な治療がありますが、症状が発現してから3時間以内に投与されなければ効果が失われてしまいます。1分でさえもが重要な意味をもつのです。
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4.脳卒中の原因を特定するには
脳卒中の原因を迅速に且つ正確に診断するために、医師たちはいくつかの診断技術と画像診断機器の助けを借ります。診断の第一歩は、迅速な神経学的検査です。病院に脳卒中の可能性のある患者が搬送されると、健康管理の専門家、即ち医師や看護師は、患者かその同伴者に何が起こったのか、いつ症状が発症したのかについて質問するでしょう。血液検査、心電図、CTやMRIなどの脳スキャンなどがよく行われます。医師が脳卒中の重症度を判定するのに役立つ一つの検査に、NINDSが開発した標準NIH Stroke Scaleがあります。医療従事者はこのNIH Stroke Scaleを使って、患者自身に質問したり、肉体的或いは精神的検査を行ったりすることによって、患者の神経学的な欠落症状を測定します。その他のスケールには、Glasgow Coma ScaleやHunt&Hess scale、Modified Rankin Scale、 Barthel Indexなどがあります。
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急性期脳卒中の画像診断
医療従事者は、脳卒中患者の評価のために様々な画像診断装置を利用します。最も広く使用されている画像診断は、コンピューター断層撮影(CT)です。これはCATスキャン(Computed
Axial Tomography)としても知られていますが、連続的な体や脳の断面の画像を生み出します。CTは大病院であればいつでも稼働しており、すぐに画像ができますので、急性期の脳卒中の診断機器として最も頻繁に使用されています。CTにはさらにユニークな診断上のメリットがあります。すぐに出血を除外診断できますし、時として脳卒中に似た症状の腫瘍が見つかることもありますし、初期の脳梗塞の証拠を提示することもあります。脳梗塞は一般的に言って、症状が出現してから6−8時間経過しないとCT画像に現れてきません。
脳卒中が出血性の場合には、症状が出現してすぐにCT画像上にその所見が現れます。虚血性脳卒中の治療として唯一認可されている血栓溶解剤などの薬物は、出血性病変のときには第一に避けなければなりません。(「どんな治療ができるのか」の項を参照)血栓溶解治療は、出血を拡大し出血性脳卒中の症状を悪化させる可能性があるので、医師が虚血性脳卒中であると確信が持てるまでは行うことができません。
脳卒中患者に使用される別の画像診断機器として、核磁気共鳴画像(MRI)があります。MRIは脳組織中のわずかな変化を、磁場を使って検出します。脳卒中の一つの変化として、障害を受けた脳組織内の水分移動(拡散と呼ばれる)の遅滞があります。MRIは脳卒中が発症して1時間以内にこの障害を検出することができます。MRIがCTより優れている点は、小さな脳梗塞でもより正確で迅速な診断ができることですが、出血の場合にはCTとほぼ同等の正確性を示します。脳卒中に類似した症状を呈する脳腫瘍のように、そのほかの脳病変についてはMRIの方がCTに比べてより感度が良いといえます。心臓ペースメーカーなどのように金属や電子部品が体内にあるときには、MRIを行うことができません。
MRIは脳卒中の緊急診断においてますます頻繁に使用されるようになってきているのですが、大半の病院でMRIは24時間すぐに使用できるわけではありませんので、その場合にはCTが急性期脳卒中の診断に使用されます。またCTに比べてMRIは検査に時間がかかるので、治療が遅れると判断されたときには行われないかもしれません。
脳血管障害の診断や脳卒中のリスクを予見するために利用されるMRIを用いた別の画像診断法に、核磁気共鳴血管撮影(MRA)と機能的核磁気共鳴画像(fMRI)があります。血流のマッピングによって頭蓋内の脳血管の狭窄(血流の妨害)を検出するために、脳外科医はMRAを利用します。機能的MRIでは酸素化した血液からの信号を検出するために磁場を使い、局所脳血流の増加を見ることで脳の活動状況を画像化します。超音波ドップラー法と脳血管造影の二つの画像診断検査は、頚動脈内膜剥離術という外科的治療が患者に利益をもたらすかどうかを判定するために行われます。この手術は、頚動脈から脂肪沈着物を除去することによって、脳卒中になることを予防するものです。(頚動脈内膜剥離術の項を参照)
超音波ドップラー法は痛みのない非侵襲的検査で、人間の聴覚を超える領域の音波を頚部に当てるものです。血液の動きや血管内の組織によって反射されたエコーを利用して画像を構成します。超音波検査は迅速で痛みも危険もなく、MRAや脳血管造影に比べて費用も安いですが、血管造影ほどの正確な診断法とはいえません。血管造影は動脈に特殊な造影剤を注入してX線写真を撮るものです。この検査はそれ自体に脳卒中を起こす危険が僅かにあり、しかも経費がかかります。MRI検査や超音波検査よりも血管造影検査が優れている点は、格段に信頼性が高く、頸動脈の狭窄を測定する上では未だに最良の手段であることです。そうは言っても機能的MRIなどの非侵襲的画像法は日々進歩しています。(「どんな治療法があるか?」の手術の項を参照)
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5.脳卒中の危険のある人とは
他の人よりも脳卒中のリスクの高い人々がいます。修正不可能な危険因子には年齢、性別、人種、脳卒中の家族歴などがあります。それとは対照的に、高血圧や喫煙習慣などのその他の危険因子は、個人の努力で変更し管理できるものです。
修正不可能な危険因子
脳卒中が高齢者にのみ発生するというのは神話に過ぎません。実際には子宮内の胎児から100歳過ぎの老人まで、あらゆる年代に脳卒中は発生します。しかし一般の人に比べて高齢者では脳卒中のリスクが高く、そのリスクが年齢とともに増加していくということは真実です。55歳以上の年代では、10年ごとに脳卒中のリスクは倍増し、すべての脳卒中の3分の2は65歳以上に発生します。一般の群に比べて65歳過ぎの人では、脳卒中が原因で死亡する確率は7倍高いとされています。また脳卒中の発生率は高齢者の人口増加に比例して増加しつつあります。団塊の世代が65歳に到達するときには、健康管理の分野においては脳卒中とその他の病気が同等となるでしょう。
性別によって脳卒中の危険率が異なります。男性は脳卒中のリスクが高いですが、脳卒中による死亡は女性のほうが多いです。男性は女性に対して1.25倍の脳卒中リスクがあります。しかし男性は女性ほど長く生きられませんので、脳卒中になるのも比較的若いために女性より生存率が高いと考えられます。つまり女性では脳卒中になる確率は男性より低いのですが、一般的に女性が脳卒中になるのはより高齢になってからなので、それが原因で死亡しやすいというわけです。
脳卒中は家族的に起こりやすいように見えます。家族的な脳卒中リスクに影響を与える因子にはいくつかあります。一つの家族の構成員は、高血圧症や糖尿病など、脳卒中の危険因子となる疾患になりやすいという遺伝子的傾向を持つ可能性があります。また家族を構成する人たちに共通するライフスタイルの影響も、脳卒中の家族的発症に関係しています。
脳卒中のリスクは民族や人種によっても異なります。アフリカ系アメリカ人の脳卒中リスクはアメリカ白人のそれに比べて約2倍高く、また脳卒中に起因する死亡率も同様に2倍となっています。45歳から55歳の間のアフリカ系アメリカ人の場合、脳卒中による死亡率は白人の4ないし5倍あります。55歳を過ぎると白人の脳卒中による死亡率も上昇し、その後はアフリカ系アメリカ人と同等になります。
白人に比べるとアフリカ系アメリカ人では、高血圧症や喫煙習慣などの脳卒中の危険因子が高い頻度で認められます。またアフリカ系アメリカ人では、糖尿病や鎌状赤血球症などの遺伝子的疾患の頻度が高いため、脳卒中になりやすいと考えられています。
ヒスパニックとアメリカ原住民は、白人とほぼ同じレベルの脳卒中発症率と死亡率を示しています。日本や中国、その他の極東に居住するアジア人ではアメリカ白人に比べて明らかに脳卒中の発症率と死亡率が高いにも拘らず、アジア系アメリカ人の脳卒中の発症率と死亡率は白人とほぼ同じです。この事実は、環境とライフスタイルが脳卒中のリスクに大きな役割を持つことを示唆しています。
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「脳卒中地帯」
科学者と統計学者達は数十年前、合衆国東南部の人々の脳卒中の死亡率が国内で最も高いことに気がつきました。彼らはこのエリアを脳卒中地帯(Stroke Belt)と名付けました。長い間研究者たちは、この高リスクの原因がアフリカ系アメリカ人の居住率が高く、全般的に社会経済状態(SES:Socioeconomic Status)が低い点に求められると信じてきました。SESが低いということは、生活レベルが全体的に低く、健康管理面での標準も低下して脳卒中のリスクが高くなると考えられます。しかし現在では、アフリカ系アメリカ人の居住率の高いことやSESの低いことだけでは、脳卒中の罹患率とその死亡率の高いことを十分に説明できないことが明らかとなっています。これが意味するところは、この地域の脳卒中の発生率と死亡率の高い原因として、何か別の要因が関与していなければならないということです。
最近の研究で明らかとなったことは、この脳卒中地帯の中に脳卒中集中域(Stroke Buckle)が存在することです。三つの東南部の州、ノースカロライナ、サウスカロライナ、ジョージアでは、極端に脳卒中の死亡率が高く、脳卒中地帯のほかの州に比べても明らかに高くて、合衆国全体の死亡率の2倍に達しています。この高いリスクの原因は、喫煙率の高い点やこの地域で塩分の多い高脂肪食が好まれる点など、地理的、環境的要因や、ライフスタイルの局所的差異に求められるのかもしれません。
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その他の危険因子
脳卒中の最も大きな危険因子は、高血圧症、心臓疾患、糖尿病、喫煙です。そのほかの要因としては、多量の飲酒、高コレステロール血症、薬物の乱用、特に血管奇形を伴う遺伝的、先天的疾病が挙げられます。危険因子を複数持つ人々は「危険増幅者」と呼ばれます。これが意味するところは、複数の危険因子はその破壊的影響を相互作用させて、個々の危険因子の単純な積み重ね以上に大きなリスクを生み出すということです。
高血圧症
脳卒中に影響を与える因子のなかで最大のものは高血圧症です。高血圧症の人々の脳卒中のリスクは、そうでない人々のリスクの4-6倍に達します。合衆国の成人人口の3分の1、つまり5千万人(65歳以上の場合40-70%)の人々が高血圧症です。脳卒中患者の40-90%が発症前に高血圧の既往歴を持っています。
収縮期血圧120、拡張期血圧80が一般的に正常と考えられています。140/90を持続的に超える血圧を示すと高血圧症の診断が下されます。脳卒中の全リスクに対する高血圧の影響は年齢とともに低下していきますが、これは高齢者の脳卒中全般に関与するリスクの中では、高血圧以外の要因がより大きな役割を果たしているからです。高血圧症のない人々の場合には、脳卒中の絶対的リスクは90歳ぐらいに至るまで年齢に従って増加しますが、この年齢に達すると高血圧症を持つ人と同じリスクとなります。
脳卒中と同じように、高血圧症の分布にも性差が認められます。比較的若い世代では、高血圧症は女性よりも男性に多く見られます。しかし年齢が上昇するとともに、男性より女性のほうが数多く高血圧症になります。こうした高血圧症における年齢と性差による分布の相違が、こうした人々の中での脳卒中の発症率と分布に影響を与えていると思われます。
降圧剤の内服はその人の脳卒中のリスクを低減させます。最近の研究報告を見ると、治療によって脳卒中の発生を38%低下させることができ、その死亡率は40%低減させることができると示唆されています。一般的な降圧剤には、アドレナリン作動薬、ベータブロッカー、アンギオテンシン変換酵素阻害薬、カルシウムチャンネル・ブロッカー、利尿薬、血管拡張薬などがあります。
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心臓疾患
高血圧症に次ぎ二番目に強力な脳卒中の危険因子は心臓疾患で、その中でも特に心房細動という状態が重要です。心房細動というのは、左房、つまり心臓の左上にある部屋の不規則な収縮を意味します。心房細動の患者では、左房が他の心臓部分より4倍に達するまで速く収縮します。これによって血液の不規則な流れが生じ、時に血栓が形成され、その血栓が心臓を離れて脳に到達し、脳卒中が起こります。
心房細動は220万人ものアメリカ人に影響を与えているのですが、その人たちの脳卒中リスクを4−6%増加させており、脳卒中に罹る人の15%は発症前に心房細動を持っています。心房細動は高齢者に多く見られるので、高齢者人口の増加に従い、合衆国内の心房細動の分布が拡大していくことを意味します。高血圧症や他の危険因子は、年齢の上昇に伴う危険率増加への影響が比較的少ないのですが、心房細動の脳卒中リスクに対する影響は、加齢によって累進的に増加していきます。80代の人々では脳卒中4人の内1人が、心房細動によって引き起こされています。
脳卒中のリスクを高めるほかの心臓疾患には、心臓の弁や心筋の奇形があります。僧帽弁狭窄や僧帽弁石灰化などの弁膜症では、他のリスクファクターには関係なく脳卒中リスクを倍増させます。
心筋の奇形も脳卒中リスクを増加させます。卵円孔開存(PFO)は、心臓の二つの心房(上の部屋)を隔てる壁に、交通路(シャントとも呼ばれる)つまり穴の開存を意味します。血液中の血栓は普通肺によって篩にかけられ除去されますが、PFOが存在すると血栓は、肺を通過せずにPFOを通り抜けて脳への動脈に直接入り込み、結果として脳卒中を生じる可能性があります。PFOがどの程度脳卒中のリスクに影響を与えているかについては、現在研究が進んでいるところです。心房中隔瘤(ASA)は、心臓組織の先天的(生まれた時からの)な奇形ですが、隔壁(心臓の壁)が膨らんで一方の心房の中に飛び出ています。この奇形がどうして脳卒中のリスクを増加させるのかについては、研究者にもまだよく判っていません。PFOとASAはよく合併するので、脳卒中のリスクはさらに高まります。理由はまだ不明ですが、脳卒中のリスクを高めていると思われる他の二つの心臓奇形があります。それは左房拡大と左室肥大です。左房拡大の患者では心臓の左房が普通より長く、左室肥大の患者では左室の壁が分厚くなっています。
脳卒中に影響するもう一つの危険因子は、心臓奇形の治療や心臓疾患の機能回復のために行われる心臓手術です。普通この状況下で生じる脳卒中は、大動脈のプラークが手術操作で剥離し、頚部や脳へと走行する動脈の血流に流れ込むことが原因となります。心臓手術は脳卒中のリスクを1%増加させます。その他の手術も脳卒中のリスクを高める可能性があります。
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血清コレステロール値
コレステロールのレベルが心臓疾患に影響することは、多くの人々が知っています。しかし高コレステロール血症が脳卒中にも影響することは、多くの人々が意識していません。コレステロールは肝臓で生成されるロウ状の物質ですが、生命維持に必要な体の生産物です。コレステロールはホルモンやビタミンD の合成に関与し、細胞膜に必須の成分となっています。肝臓は肉体の必要に応じて十分なコレステロールを合成していますが、この自然な合成過程だけならば動脈硬化や心臓疾患、脳卒中などにそれほど影響しません。研究によると、コレステロールを沢山含む食べ物の摂取が、その危険性の原因になっています。肉、卵、畜産製品など、飽和脂肪酸とコレステロールに富む食物は、体の総コレステロール値を危険レベルに押し上げ、動脈の粥状硬化や肥厚を推進する可能性があります。
コレステロールは脂質に属しており、水溶性でなくむしろ脂溶性の物質です。その他の脂質には、脂肪酸、グリセリン、アルコール、ロウ、ステロイド、脂溶性ビタミンのA,D,Eなどがあります。脂質と水は、油と水のように混ざることはありません。血液は水が基礎となっていますので、コレステロールは血液と混ざり合うことがありません。血液中を凝集することなく移動するためには、コレステロールはその表面を蛋白質で蔽われる必要があります。このコレステロールと蛋白質の集合体は、リポ蛋白と呼ばれます。
コレステロールには2種類あって、普通「善玉」と「悪玉」と呼ばれます。善玉コレステロールが高比重リポ蛋白(HDL)で、悪玉コレステロールは低比重リポ蛋白(LDL)です。この二つの形態のコレステロールが合わさって、人の血清総コレステロール値となります。コレステロール検査の大半は血液中の総コレステロールを測定するもので、善玉と悪玉の区別を付けていません。こうした総コレステロール値の場合には200mg/dL以下が安全レベルとされており、240以上は危険レベルとなり、心臓疾患と脳卒中のリスクを高めます。
体の中のコレステロールは大半がLDLの形態をとっています。LDLは血液中を循環し、余分なコレステロールを集積し、必要部分(例えば細胞膜の生成や維持)に配送します。しかし過剰なコレステロールが血液中を循環し始めると、体は過剰なLDLを制御できなくなって、動脈壁の内側に沿ってへばりつきます。動脈内壁を被覆するLDLは硬くなってプラークを形成し、狭窄や粥状硬化に至ります。プラークは血管を閉塞し、血栓の形成を促進します。個々人のLDLのレベルは130mg/dL以下が安全域です。LDL値が130から159の間のレベルは動脈硬化症や心臓疾患、脳卒中のリスクを若干高めます。160を超える場合には、心臓疾患と脳卒中のリスクをかなり増大させます。
もう一つのコレステロールの形態であるHDLは、体に有益で脳卒中を防ぐ働きがあります。HDLは血中コレステロールの少量を運搬していますが、動脈壁にコレステロールを沈着させるのではなく、肝臓にコレステロールを戻す役割を果たします。肝臓は腎臓に受け渡すことによって過剰なコレステロールを排斥します。現在、HDLは35以上が望ましいとされています。最近の研究によれば、HDLが高いと心臓疾患と脳卒中のリスクが低下し、HDLが低い(35mg/dL以下)場合には、例えLDLが正常範囲内であっても心臓疾患と脳卒中のリスクが高まるという結果が出ています。
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糖尿病
糖尿病は脳卒中のリスクを高めるもう一つの疾患です。糖尿病患者では病気のない人に比べると3倍の脳卒中リスクがあります。糖尿病の脳卒中リスクが最も高くなるのは、50代から60代にかけてで、その後はリスクが減少していきます。高血圧症と同じように糖尿病の脳卒中リスクは、男性では比較的若い世代にピークがあり、女性の場合には比較的高齢世代に最も高くなります。糖尿病の患者は、全体的リスクを増大させる他の危険因子を併せ持っているかもしれません。例えば高血圧症を合併する人々の割合は、一般の人に比べ糖尿病の群では40%高くなっています。
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修正可能な生活習慣の危険因子
喫煙習慣は修正可能な危険因子のなかでは最も強力な因子です。喫煙は虚血性脳卒中のリスクを他の因子とは無関係に倍増させますし、くも膜下出血のリスクを3.5%増大させます。喫煙は高齢者群より若い世代の群で、脳卒中総数の中の一層大きな割合に直接的な影響を与えます。喫煙以外の危険因子は、高血圧や心臓疾患、糖尿病などと同じように、高齢者の群でより大きな影響を与えます。
喫煙数の多い人は、少ない人に比べてリスクが高いといえます。脳卒中の相対的リスクは喫煙習慣を中止するとすぐに低下しますが、その低下は2-4年後に最も見られます。残念ながら喫煙の経験者では、全く喫煙しない人と同じ危険率に低下するために数十年を要します。
喫煙は動脈硬化の促進や、フィブリノゲンなどの凝固因子の増加によって脳卒中のリスクを高めます。脳卒中に関連する疾病の促進に加え、脳血管の内膜を脆弱化することによって脳卒中の障害を増大させます。これは脳卒中の二次的段階で生じるイベントを通して、より大きなダメージが脳に発生するためです。(脳卒中の二次的影響については、附録の部分で詳説します。)
アルコールの多飲は、脳卒中のもう一つの修正可能な危険因子です。一般的にアルコール消費が高いほど血圧の上昇に繋がります。アルコールの多量消費が、出血性と虚血性の両方の脳卒中のリスクとなることに科学者の意見は一致しているのですが、一方いくつかの研究結果では、毎日の少量のアルコール摂取に虚血性脳卒中の予防効果のあることが判っています。これはたぶんアルコールに、血液中の血小板の凝固能力を低下させる働きがあるためです。中等度のアルコール摂取はアスピリンと同じメカニズムで血栓形成を妨害し、その結果虚血性脳卒中を予防します。しかしアルコールの多量摂取は、血小板数を減少させ血液の凝固と粘性度に影響を与えることによって、出血の原因になると考えられます。それに加え大量飲酒、過度の飲酒は、身体からアルコールが抜けたときにリバウンド現象を引き起こします。リバウンド現象の結果、血液の粘性度と血小板数が急激に上昇し、虚血性の脳卒中を増加させると考えられます。
コカインやクラック・コカインなどの不法ドラッグの使用が脳卒中の原因となることがあります。コカインはまた高血圧症や心臓疾患、血管障害などその他の危険因子の原因となり、脳卒中の引き金となります。コカインは脳血流を30%低下させ、血管の収縮を引き起こし、動脈を細くします。コカインは心臓にも影響し、不整脈や頻脈の原因となり、その結果血栓を形成する可能性があります。
マリワナはやはり脳卒中の原因となります。マリワナは血圧を低下させ、高血圧症や喫煙などの他の危険因子と相互作用し、急激な血圧変動を起こして血管にダメージを与えます。
アンフェタミン、ヘロイン、同化型ステロイド(そしてカフェイン、L-アスパラギナーゼ、店頭売りの去痰剤に含まれる偽エフェドリンなどの合法薬物でさえも)の乱用によっても、脳卒中のリスクが上昇すると疑われてきました。こうした薬物の多くには血管収縮作用があり、血管を収縮させることで血圧を上昇させます。
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頭頚部の外傷
頭部や頚部の外傷は脳血管系に損傷を与える可能性があり、数は少ないですが脳卒中の原因となりえます。頭部外傷や外傷性の脳損傷の場合、脳内に出血を起こして出血性の脳卒中に似たダメージが生じます。頚部の外傷の場合には、急激で過度の頚部の伸展、頚部の回旋、動脈への圧迫などによって椎骨動脈や頚動脈の破綻が起こると、特に若い世代で脳卒中を引き起こす原因となります。この種の脳卒中は「美容院症候群」と呼ばれているのですが、その理由は、美容院では洗髪の際に洗面台の上で首を大きく後方へ伸展させるからです。頚部の美容体操、一気飲み、不適切なカイロプラクティック手技なども、椎骨動脈や頚動脈に緊張が加わるので、虚血性の脳卒中の原因になることがあります。
感染症
進行中のウィルスや細菌の感染症は、他の危険因子と相互作用して、脳卒中の小さなリスクとなります。免疫システムは炎症反応を活性化し、血液中で感染に抗するための物質を産生します。残念ながら免疫反応は血液の凝固因子を増加させ、塞栓性脳卒中のリスクを高めます。
遺伝的因子
脳卒中に影響する単一の遺伝子は存在しませんが、高血圧症、心臓疾患、糖尿病、血管奇形など、脳卒中の危険因子において遺伝子的影響は大きな役割を果たしています。家系的な脳卒中のリスクの場合、共通する運動不足や貧弱な食生活などの環境因子が、遺伝的要因よりも強く働いている可能性があります。
脳卒中を引き起こす血管奇形は、脳卒中の危険因子の中で最大の遺伝的要因となります。血管奇形というのは、異常に形成された血管やそのグループを意味します。CADASIL(Cerebral Autosomal Dominant
Arteriopathy with Subcortical Infarcts and Leukoencephalopathy)という遺伝性血管疾患があります。CADASILというのは、脳に先天的血管病変のできる稀な遺伝性疾患で、脳卒中、皮質下性認知症、偏頭痛様の頭痛、精神的異常などの原因となります。CADASILは極めて進行の早い疾患で、症状は普通45歳ごろに表面化します。欠損した血管の修復など手術治療がなされますが、CADASILの患者は65歳までに大抵死亡します。合衆国におけるCADASILの正確な発生率は未だに知られていません。
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治療薬
内服薬、薬物治療が脳卒中のもっとも一般的な治療法です。脳卒中の治療や予防に使用される一番よく知られている薬は、抗血栓薬(抗血小板薬と抗凝固薬)と血栓溶解薬です。
抗血栓薬は、脳の血管の中に詰まって脳卒中の原因となる血栓の形成を防ぎます。抗血小板薬は、血液の血栓形成に働きかける細胞、即ち血小板の活動を抑制することによって血栓形成を防ぎます。こうした薬剤は、血栓形成の危険を減少させることによって、虚血性脳卒中のリスクを低減します。脳卒中の経過の中で、医師は主に予防の目的で抗血小板薬を処方します。もっともよく知られており、またよく使われている抗血小板薬はアスピリンです。そのほかの抗血小板薬としては、クロピドグレル、チクロピジン、ジピリダモールなどがあります。抗血小板薬の脳卒中の予防効果に関する多数の臨床試験に対し、NICDSは資金援助を行っています。
抗凝固薬は、血液の凝固能を低下させることによって脳卒中を防ぎます。もっとも普通に使用される抗凝固薬には、ワーファリン(Coumadinとして知られています)、ヘパリン、エノキサパリン(Lovenoxとして知られています)などがあります。NINDSは、抗血小板薬と抗凝固薬の有効性の違いを検証するいくつかの研究を支援してきました。心房細動における脳卒中予防の研究(SPAF)では、心房細動を有する患者の2次的脳卒中の予防に対してアスピリンは有効な治療であるが、付加的な危険因子を有する患者にはワーファリン治療がより有効であったことが示されました。急性期脳卒中治療におけるOrg10127の使用試験(TOAST)という別の研究では、脳卒中予防に対する低分子ヘパリン(Org10172)の有効性についての検証が行われました。TOASTの結果抗凝固薬のヘパリンは、脳卒中の再発予防と予後の改善に対して、総じて有効でないことが示されました。
血栓溶解剤は、動脈閉塞によって発症する進行中の急性期脳卒中の治療に使用されます。こうした薬剤は、脳への血流を妨害する血栓を溶解することによって脳卒中の進行を止めます。遺伝子組み換えプラスミノゲン・アクチベーター(rt-PA)は、t-PAという人体で自然に産生される血栓溶解物質を、遺伝子組み換え技術によって合成したものです。この物質は脳卒中の発生から3時間以内に静脈内に投与されると有効ですが、患者が虚血性脳卒中であることを医師が確認してからでないと使用できません。血栓溶解剤は出血を増加させるため、注意深い患者の選別の後からでないと使用してはいけません。NINDSのrt-PAの脳卒中に関する研究は、このt-PAの有効性を証明し、急性期虚血性脳卒中の治療薬として1996年に初めてFDAの認可を得ることにつながりました。その他の血栓溶解剤については現在臨床研究が進行中です。
神経保護薬は、脳卒中によって発生する二次的損傷から脳を保護する薬物です(付記を参照)。現時点では、神経保護薬は脳卒中の治療薬としてFDAの認可を得られているものはありませんが、多くの臨床試験が進行中です。神経保護薬にはいろいろな種類があって将来の治療に期待が持てますが、その種類には、グルタミン酸拮抗薬、抗酸化薬、神経死阻害薬の他多数あります。
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手術治療
脳卒中の予防、急性期脳卒中の治療、そして脳の中や周辺の血管損傷や奇形の修復のために、手術治療が行われることがあります。脳卒中の予防と治療のために行われる手術には、際立った二つのタイプがあります。頸動脈内膜剥離術と頭蓋外/頭蓋内(EC/IC)バイパス術です。
頸動脈内膜剥離術の手術では、頚部にある脳に血液を供給している頸動脈の内側から、脂肪性沈着物質(プラーク)を医師が取り除きます。前にも述べましたが、動脈硬化症という疾患には大血管の内側にプラークが形成されるという特徴があります。そしてこの脂肪性物質による動脈血流の妨害が、狭窄と呼ばれているものです。NINDSは頸動脈内膜剥離術の有効性を検証するために、二つの大きな臨床研究を支援しました。ひとつは北アメリカ症候性頸動脈内膜剥離術の研究(NASCET)で、もう一つが無症候性頸動脈内膜剥離術の研究(ACAS)です。こうした研究で示されたことは、頸動脈に50%以上の狭窄を有する場合、有資格の熟達した神経外科医や血管外科医が行う限りにおいて、頸動脈内膜剥離術は脳卒中予防のための安全で有効な治療法であるという事実でした。
現在NINDSでは、頚動脈再建における内膜剥離術とステント留置の比較研究(CREST)を後援しておりますが、これは頚動脈内膜剥離術と、ステントと呼ばれる頚動脈の狭窄に行われる新しい手術手技との、有効性についての大規模な対比研究です。この手術手技では、足の動脈に長く細いカテーテルを挿入し、血管系に糸を通すようにして頚部の狭窄した動脈までこのカテーテルを通過させます。カテーテルが頚動脈内まで届いたら、放射線医師は、カテーテルの末端にあるバルーンを膨らませることによってステントを拡張します。CREST試験では、この新しい手術手技と、頚動脈内膜剥離という確立された手術手技との有効性についての対比を行うことになります。
EC/ICバイパス術では、閉塞動脈によって影響を受けた脳に頭皮の健康な動脈を移植することによって、血流が乏しくなった脳組織に血流を再供給させます。NINDSが後援するEC/ICバイパスの研究では、動脈硬化のある患者の脳卒中の再発予防において、この手術がどれくらい役に立つかを検証しています。研究結果では、長期経過を追うとEC/ICバイパス術はこうした患者に利益をもたらさないように見えました。この手術は、動脈瘤患者、小動脈病変のいくつかのタイプ、ある種の血管異常、などに対して今でも時々行われています。
くも膜下出血の原因となる脳動脈瘤の治療のために行われる有用な手術の方法の一つに、「クリッピング」と呼ばれる手技があります。クリッピング手術は動脈瘤を血管から遮断することによって、破裂して出血する危険を低下させます。
広く注目を集めている新しい治療法に、リスクの高い頭蓋内動脈瘤の治療のための離脱式コイルというものがあります。小さなプラチナのコイルを大腿部の動脈から挿入して、動脈内を伝わせていって動脈瘤の部分まで送り込みます。コイルは動脈瘤の中に挿入されて留まりますが、そこで人体の免疫反応を惹起します。つまり人体は動脈瘤内部に血栓を産生し、動脈瘤の壁を補強して破裂のリスクを低下させるのです。動脈瘤が一端安定すれば脳神経外科医は、より低い出血と死亡リスクのもとで動脈瘤にクリップをかけることができます。
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脳卒中後のリハビリテーション
種類と目的
理学療法(PT):歩行、座位、臥床、行動変換などの再学習
作業療法(OT):食事、飲水、着衣、入浴、料理、読書、筆記、排泄行為の再学習
言語聴覚療法(ST):言語と会話技術、嚥下の再学習
心理療法:精神的、情緒的問題の緩和
リハビリ治療
合衆国内では重度の身体障害の一番の原因が脳卒中です。脳卒中の障害は患者とその家族に甚大な被害を与えますが、脳卒中後の患者に対してリハビリテーション治療を行うことができます。
多くの脳卒中患者にとって、理学療法(PT)がリハビリテーション過程の土台となります。理学療法師は動きやバランス、協調運動などを回復させるために、訓練と運動、患者の肉体への徒手手技などを行います。PTの目標は、歩行、座位保持、起立、臥床、行動変換などの単純な運動行為を脳卒中患者に再学習させることです。
日常活動を再学習する別のタイプの治療が作業療法(OT)です。OTはやはり訓練と運動を駆使して、食事、飲水、着衣、入浴、料理、読字と筆記、排泄行為、などの日常行動を患者が再学習するのを助けます。OTの目標は患者が自立、或いは一部介助レベルになることを手助けすることです。
脳の言語中枢が傷害されると、会話と言語の問題が発生します。脳そのものが持つ再学習と可変性に関わる大きな能力(可塑性と呼ばれる)によって、失われた機能の一部を他の部分が引き継ぐことができるようになります。言語病理学者は、嚥下能力とともに言語と会話の能力を再学習することを助け、また他のコミュニケーション法を学ぶことを助けます。会話や文字の理解に困難があったり、発話に障害があったりする患者すべてに対し言語治療は適用されます。脳卒中患者が言語能力を改善したり、別のコミュニケーション法を獲得したり、また意思疎通が十分にできないことでの欲求不満への対処法を学んだりするときに、補佐的な役割をするのが言語聴覚士です。時間と忍耐をかけて、脳卒中患者は言語と会話の一部、或いは全部を再取得できるようにすべきです。
脳卒中の後で患者の多くは、心理学的あるいは精神科的な補助を要します。うつ状態、不安感、欲求不満、怒りなどの心理的な問題は、脳卒中後の障害として一般によく見られます。適切な処方を伴うカウンセリング治療は、脳卒中に起因する精神的、感情的な諸問題を軽減するのに役立ちます。脳卒中患者の家族が心理的な治療を求めることも、時には有益です。
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6.脳卒中によってどんな後遺症がのこるのか
脳卒中は脳の病気ですが、体全体に影響を与えます。脳卒中の結果として生じるいくつかの障害には、運動麻痺、認知障害、言語障害、感情障害、日常生活障害、そして痛みなどが挙げられます。
運動麻痺:
脳卒中の結果起こる一般的障害に、体の片側に生じる片麻痺と呼ばれる完全運動麻痺があります。完全運動麻痺ほどに症状の強くない同様の障害に、不全麻痺と呼ばれる片側の筋力低下があります。完全麻痺と不全麻痺は、顔、腕、脚の単独に影響するものもあり、或いは片側のそれら全部に影響を与える場合もあります。脳の左半球に脳卒中を起こした時、右側の完全麻痺か不全麻痺を呈します。反対に右の半球に脳卒中が起これば、体の左側に症状が出現します。脳卒中の患者は、歩行、着衣、食事、入浴などの日常生活の中のもっとも単純な活動にさえも支障を生じます。運動障害は前頭葉の運動領の損傷によっておこる場合と、平衡機能や協調運動を制御する小脳のような脳の下部領域の損傷によっておこる場合があります。また脳卒中患者は、嚥下障害と呼ばれていますが、物を飲み込む機能の障害を起こすこともあります。
認知機能障害:
脳卒中では、思考、覚醒、注意、学習、判断、そして記憶などに問題を起こします。脳卒中患者の中には、「無視」症候群を起こすこともあります。無視というのは、体の半側や視野の片側に気がつかない場合や、自分の欠落症状に気がつかない場合を意味しています。また脳卒中患者は、周囲の状況に気がつかなかったり、脳卒中の結果生じた精神的欠落症状に気がつかなかったりします。
言語障害:
脳卒中の犠牲者は、会話の理解や発語に問題を生じることがしばしばあります。会話の理解や発語の障害を失語症と呼びます。一般に失語症では、読字や書字にも同様の問題を生じます。大半の患者の場合には、言語障害は脳の左半球の損傷で起こります。発語に係わる筋肉の脱力や不協調の結果生じる不鮮明な発話のことを構音障害と呼びますが、これは言語の問題とは異なるものです。発語に係る筋肉の脱力や不協調の結果生じるものなので、構語障害は脳のどちら側の損傷でも発生します。
感情障害:
脳卒中は感情の問題も起こすことがあります。脳卒中の患者は感情のコントロールが困難になり、ある状況下で不適切な感情表現を示すことがあります。多くの脳卒中患者に起こる共通の障害に抑うつ状態があります。脳卒中後の抑うつ状態は、脳卒中に伴う固有の障害よりもさらに悲劇的なことさえあります。それは回復やリハビリテーションを妨げる臨床的行動問題で、自殺に結び付くことさえあるからです。脳卒中後の抑うつ状態は、抗うつ剤やセラピーによって他のうつ状態と同じように治療されます。
痛み:
脳卒中患者は痛みや不快なしびれ、異常知覚などを経験します。こうした感覚の異常には、脳の感覚中枢の損傷、関節の拘縮、動かない四肢といった多くの要因が関係しています。脳卒中に起因する痛みの中でも稀なタイプに、中枢性疼痛症候群(CPS)というものがあります。CPSは視床という間脳の一部に損傷が起こる結果生じます。痛みという感覚は、熱い、冷たい、焼ける、しびれる、突き刺す、うずくなどの様々な感覚の混合したものです。痛みは普通手や足などの四肢で症状が重く、動きや温度変化、特に冷えたときに増強します。残念ながら大半の鎮痛剤はこうした痛みに対して効果がなく、CPSに対する薬や治療は殆ど無いに等しい状態です。
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7.女性にはどういった危険が伴うか
脳卒中のいくつかのリスクは女性だけに限られます。こうしたリスクの中で主要なものは、妊娠、出産、そして閉経です。こうしたリスクは、女性の生涯の様々な時期に影響を与えるホルモンの増減や変動と関連しています。この数十年の研究成果が示すところによると、1960年代から1970年代にかけての高用量の避妊薬の使用は、女性の脳卒中の危険率を上昇させました。幸いなことにエストロゲンを多量に含有する避妊薬は使用されなくなり、エストロゲン含有量の少ないより安全で効果の高い避妊薬に取り替ってきています。新しい低用量避妊薬の使用が女性の脳卒中リスクを有意に増加させないことを、いくつかの研究は明らかにしています。
妊娠と出産が女性の脳卒中のリスクを高めることは、様々な研究が示してきました。妊娠は脳卒中の危険を3倍から13倍高めます。もちろん若い女性の妊娠中の脳卒中リスクは大変に低いものですから、妊娠中にリスクが増大したとしても、それはまだ微々たるものです。妊娠と出産に伴う脳卒中は、女性100000人に対し約8人の確率で発生します。不幸なことに、妊娠中の脳卒中の25%は致死的で、出血性の脳卒中は稀なものですが、合衆国で最も主要な母体死亡の原因となっています。特にクモ膜下出血は、10000人の妊婦のうちの死亡者5人に1人の原因疾患となっています。
NINDS後援の研究の結果、妊娠中の脳卒中のリスクは、出産から6週間の産褥期に最も高いことが示されました。妊娠及び産褥期でない女性と比べると、妊娠後の虚血性脳卒中のリスクは約9倍、出血性脳卒中では28倍以上高くなっています。原因についてはよく判っていません。
妊娠と出産によるホルモンの変動が脳卒中リスクの増加に関連するのと同じように、出産可能期間の終末期におけるホルモン変化も脳卒中のリスクを増加させます。閉経、つまり月経サイクルの停止によって示される女性の出産可能期間の終末が、女性の脳卒中リスクを増加させることを研究結果が明らかにしました。幸いなことに、ホルモンの補充療法が閉経の影響を軽減し、脳卒中のリスクを低下させるということを示唆する研究結果があります。現在NINDSは、女性のエストロゲンと脳卒中の研究(WEST)という試験を後援しており、この研究では、最近TIAか或いは後遺障害のない脳卒中を発症した閉経後の女性において、エストロゲン治療によって死亡と脳卒中の再発のリスクが低下するかどうかについて、プラシーボを使った二重盲検法を用いて検証しています。エストロゲンが閉経後の女性に利益をもたらすメカニズムは、コレステロールをコントロールする役割にある可能性があります。エストロゲンはHDLのレベルを上昇させる一方、LDLのレベルを低下させることが研究結果で分かっています。
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8.子供たちの脳卒中はあるか
若い世代には特有の危険因子がいくつかあります。若い世代の場合虚血性の脳卒中より出血性の脳卒中の多い点が、虚血性のものが脳卒中の大半を占める高齢者群と明確に異なるところです。合衆国では脳卒中全体の中で出血性のものはその20%を占めていますが、これらのうちの多数が若年者で占められています。
臨床医はよく若年者を二つの範疇に分けます。15歳未満のグループと、15歳から44歳までのグループです。一般的に15から44歳の人は若年成人と考えられますが、このグループの人は、薬物乱用、アルコール中毒、妊娠、頭頚部外傷、心疾患または奇形、感染症など、前述した様々なリスクを持っています。若年者における脳卒中のその他の原因には、遺伝性疾患に関連するものがあります。
小児の脳卒中を起こす疾患には、頭蓋内感染、もやもや病などの血管奇形、血管の閉塞性疾患、そして鎌状赤血球症や結節性硬化症、マルファン症候群などの遺伝子疾患が含まれます。
小児の脳卒中の症候は成人あるいは若年成人と異なります。脳卒中を発症した小児には、けいれん発作、突然の失語、表象言語(ボディーランゲージやジェスチャーなど)の喪失、不全麻痺(体の片側の筋力の低下)、完全麻痺、構語障害(発語の障害)、てんかん、頭痛、発熱などの症状が出ます。こうした症状が小児に出現したとき、それは医療的に緊急を要する時です。
小児の脳卒中においては、脳卒中に結びつく基礎疾患を究明し、その後の脳卒中の発症を予防する手立てが必要です。例えば、国立心・肺・血液研究所の主導する最近の研究結果で示されたのですが、鎌状赤血球症の患児への輸血は脳卒中のリスクを低下させます。その研究施設は、高リスクの患児には脳卒中の発症前に予防的な輸血をすることさえ推奨しています。
脳卒中の患児は、治療とリハビリテーションによって成人よりも良い回復を示します。これは未熟な脳の可塑性、つまり欠落や損傷に対する代償力に因るものです。脳卒中の経過中にけいれん発作を伴う場合には、けいれん発作のない患児に比べて回復が悪いようです。継続する片麻痺が存在しても、児童は最終的に歩く能力を獲得します。
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9.NINDSにおいてどんな研究が行われているか
脳卒中研究の分野においてNINDSは合衆国内で主導的な役割を果たしており、基礎的生物学的な研究から動物モデルや臨床研究まで、幅広い実験的研究の支援をしています。
現在NINDSの研究者は、脳卒中の危険因子のメカニズムと脳卒中の結果生じる脳損傷の過程について研究を進めています。
この脳損傷のは、脳血流の不足によって生じた一次的脳細胞死に引き続く二次的なものです。この脳損傷の第2波は一次損傷に引き続く毒性反応の結果で、主にグルタミン酸という興奮性の神経化学物質が関与しています。正常な脳内ではグルタミン酸は脳細胞間の伝達物質として機能しており、脳細胞が情報交換することを助けています。しかし脳内の過剰なグルタミン酸は、脳細胞の過剰な活動の原因となり、細胞を興奮過多による「燃え尽き」状態にします。そしてカスパーゼ、サイトカイン、単核球、フリーラジカルなどのさらに毒性の強い物質を放出します。こうした物質は周辺の細胞の化学的環境を破壊し、変性の連鎖とアポプトーシスという連鎖的な細胞死が開始されるのです。NINDSの研究者はこの二次的な障害に潜むメカニズムを研究し、その障害の主な原因となっている炎症、毒性、脳に血液を供給する血管の破綻について明らかにしようとしています。研究者はまた炎症を抑制し、死んで行く脳細胞が解き放つ毒性物質を防ぐための様々な神経保護物質を使って、この二次的な細胞障害を予防する方法を模索しています。こうした研究結果を通して、研究者は二次的障害を防ぐための神経保護物質の開発に期待しています。興奮性毒性、神経保護、虚血性連鎖についての詳しい情報については、付記を参照してください。
基礎的研究は、脳卒中とその危険因子の遺伝的要因にも注目しています。遺伝的因子の関連領域の一つの分野は、遺伝子治療です。遺伝子治療には、体の中の特定な細胞内に望ましい蛋白質の遺伝子を埋め込むことが含まれます。埋め込まれた遺伝子は、望ましいたんぱく質を産生するプログラムを細胞に与えます。もし適切な領域の多数の細胞が必要を満たすだけの蛋白質を産生すれば、そのタンパク質は治療的効果を発することができます。研究者は治療的なDNAを適切な細胞まで運搬する方法を発見しなければなりませんし、組織が治療レベルの蛋白質を産生できるように、充分な量のDNAを多数の細胞に送り込む手段を学ぶ必要があります。遺伝子治療は開発の極めて初期段階にあり、極めて透過性の悪い脳血液関門をいかに通過させるかとか、遺伝子を細胞まで運搬するウィルスに対しての宿主の免疫反応をいかに抑制するかといった、克服すべき問題がたくさんあります。脳卒中治療に役立つ蛋白質には、神経保護作用を持つ蛋白、抗炎症作用を持つ蛋白、DNAと細胞を修復する蛋白などが考えられています。
ゼブラフィッシュを使った遺伝子的研究から霊長類を用いてのリハビリテーションの研究まで、NINDSは多種多様の動物実験の支援や指導を行っています。研究所の多くの動物実験では、二十日ネズミやラットを中心とするげっ歯類を使用します。例えば高血圧と脳卒中の研究の場合、高血圧を発生し脳卒中を起こしやすく育てられたラットを使用します。ラットの脳卒中を研究することによって、人間の脳卒患者で何が発生するかについてのより明確な病態を把握しようとしています。脳卒中のための有望な治療法についても、研究者は動物の実験モデルを利用します。もし動物に治療の効果が認められれば、人間を対象とする治療の検証を計画することができます。
脳卒中の有望な動物研究テーマのひとつに冬眠があります。冬眠中の動物の脳血流は、冬眠をしない動物ならば死んでしまうほど極端に低下します。冬眠中、動物の代謝は漸減し、体温は低下し、脳細胞のエネルギーと酸素の消費量は低下します。脳にダメージを与えることなく動物を冬眠させる方法を解明することができれば、脳卒中患者の脳血流低下による脳損傷を防ぐ手段を、研究者は見つけることになるかもしれません。また他の研究では、代謝や脳保護に関わる低体温の役割に注目しています。
冬眠も低体温も、低酸素と浮腫に関係しています。低酸素、或いは無酸素は、脳細胞が正常に機能するのに十分な酸素が足りなくなった場合に起こります。脳細胞はエネルギー産生のために大量の酸素を必要としますので、極度の低酸素状態に対して脆弱です。脳組織の化学的均衡が乱されると、脳細胞に水分が流入して浮腫が起こります。その結果細胞は膨れ上がり、破裂して内部の毒性物質を周辺組織にばら撒きます。浮腫は脳組織全体の腫脹の原因となり、また脳卒中における二次的細胞死にも影響しています。
上記についての基礎的な動物研究は人体では行われておらず、臨床研究以前のものに過ぎません(臨床研究は人体での研究を指します)。動物実験から臨床研究に移行したひとつの分野には、脳の可塑性と脳卒中後の神経再編成に関わるメカニズムについての研究があります。
画像法とリハビリテーションの進歩により、脳卒中の結果生じた機能の喪失に対し脳に代償できる能力のあることが判りました。脳卒中によって特定機能の責任領域にある脳細胞が死ぬと、患者はその機能を実行できなくなります。例えば、容貌認知の責任領域に梗塞が発生した患者は、容貌失認と言われていますが、人の顔を認識できなくなります。しかし時間経過とともに、その機能を固有に担当する領域は死んだままにも拘らず、患者は人の顔を認識できるようになります。脳の可塑性と神経接続の再構築によって、脳の一部の機能を変化させ、機能を停止したより重要な部分の役割を受け持つように転換することが可能となります。この脳の再構築と機能回復は脳が自動的に行うものですが、治療によって助けることができます。脳卒中患者の失われた重要機能を回復させる脳自体の修復を、新しくより優れた治療法でサポートできるように研究者は努力しています。
こうした研究成果のひとつに、脳卒中患者のリハビリテーションへの経頭蓋的磁場刺激法(TMS)の導入があります。脳の一定部分に磁力線を放出するTSE治療によって、脳卒中後の脳の可塑性と機能回復が促進される可能性のあることが示唆されています。TMS装置は、電極を刺入した脳部分の頭皮に置かれる小さなコイルです。現在NINDSでは、TMSが運動機能を増進し機能回復に有効かどうかを検証しています。
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臨床試験
臨床試験は、徐々に規模を大きくしていく一連の試験で行われます。フェーズTの臨床試験は、基礎的な動物実験の結果に直接基づいて行われ、特定疾患に対する治療の安全性と有効性を評価するために、少数の人体を対象に実行されます。フェーズUの臨床試験は、普通いくつかの異なったセンターの多数の人を対象に行われます。そこでは、より大きな規模での安全性と有効性の評価が行われ、治療薬の投与量に差をつけたり、手術テクニックを改善したり、また来たるべき一層大規模なフェーズV試験を行うために、方法論や計測方法についての検討が行われ、それらについて決定されていきます。
フェーズVの臨床試験は最も規模が大きいものです。この試験では多数の施設と多数の患者が対象となります。臨床試験では一般に、患者は二つのグループに分けられて異なった治療を受けるのですが、そのほかの基本的な治療はすべて同じ設定とされ、可能な限りの最良の治療が行われます。試験ではこの二つの治療が比較されるわけですが、一つの治療をテストする場合に、治療を受けないグループにはプラシーボ(偽薬)が投与されます。患者たちには、彼らの受けるのが作用のある薬なのか、或いはプラシーボなのかのどちらかであることが告げられます。多くのフェーズV試験は、ダブルブラインドと呼ばれる無作為の臨床試験です。ダブルブラインドが意味するところは、患者も、そして患者を治療し治療の効果を判定する医師や看護師も、どちらの治療が行なわれているかどうかについて両者ともに知らされていないということです。無作為というのは、患者も研究者も、どちらの治療グループに患者が割り振られるのかについて予測できないことを意味します。こうした臨床試験では一般に多くの研究者が参加しますし、また終了するまでに何年もかかります。試験の計画と方法は極めて緻密なもので、熟慮に熟慮が重ねられたものです。ブラインド性と無作為性と同様に、臨床試験のデザインは、多年にわたる実験とテストとその失敗の上に築き上げられたものです。現在研究者たちは、すべての患者達にとって治療を受ける機会が最大となるような新しい研究デザインを構築しています。
一般に使われている治療のほとんどが、このフェーズVの臨床試験から生み出されています。フェーズVの臨床試験が終了し、その治療が有効だと判断された時には、研究者は政府の認可を得るために、FDAに対して治療薬や治療手技に関しての申請を行います。FDAによって一旦認められると、その治療は全国において資格のある医師によって使用できるようになります。
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NINDSが支援している臨床試験:2007年4月
臨床試験は、研究者たちに新しい治療法を人体でテストする機会を与えます。臨床試験では、手術の器械や手技、治療薬、リハビリテーション治療、ライフスタイルと心理社会学的治療などについてのテストが行われ、その安全性と有効性についての検証がなされ、治療の適正な量や程度が確立されます。治療計画やデータと結果の詳細な分析が必要となるので、臨床試験は三つの段階で行われ、数年からそれ以上の年月を要します。
●フェーズT臨床試験:少数(100人以下)を対象に、副作用と治療の耐用性が検証されます。
●フェーズU臨床試験:もう少し多数の対象に対して行われ、治療効果の測定や治療の投与量や程度の確立を行います。
●フェーズV臨床試験:数百人(時には数千人)の患者ボランティアを募り、治療グループと非治療グループに振り分け、治療の有効性、推奨された投与量や治療程度における安全性が試験されます。こうした試験の多くには、無作為、ダブルブラインドの研究デザインが採用されます。これの意味するところは、患者のグループ分けが無作為に行われ、研究の対象者と研究を行うスタッフの両者に対して、どちらのグループに属しているのかを知らせないということです。フェーズV無作為臨床試験は、よく臨床試験の黄金律と呼ばれています。
NINDSはNIH臨床センターで臨床試験を行うとともに、合衆国およびカナダ全土に及ぶ病院や大学でので臨床試験に対し研究資金を提供しています。以下に示すものは、脳卒中に関しての大規模で注目すべき最近の研究成果と、最も有望な研究途中の臨床試験の要約です。
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最近完結した臨床試験の結果
頭蓋内動脈の狭窄に対するワーファリンとアスピリン試験
この研究のゴールは、脳内に詰まりかけた血管(頭蓋内動脈の狭窄)を持つ患者において、その後の脳卒中と心臓発作のような他の血管性疾患に対する予防効果の点で、ワーファリンとアスピリンの有効性を比較することです。脳卒中の予防の点では、アスピリンのほうがワーファリンに比べて明らかに有効であることが示されました。アスピリンは副作用の点でも少なく、コストも低く、使用が容易です。
四肢抑制誘導療法の評価(EXCITE)
上肢や下肢の運動制限は脳卒中の大きな後遺障害となります。運動機能を回復させ、腕や手の独立した機能を復元させる方法には限界があります。動物と人間を用いた基礎的研究で成功が明らかとなった一つの方法に、抑制誘導運動療法(CIMT)があります。CIMTとは良く動く方の腕を緊縛し、弱い方の腕の連続的な繰り返し練習を行うものです。このEXCITE試験では、少なくともわずかに腕の動きが認められる脳卒中発症後3-9ヶ月以内の患者を、従来の治療(未治療から標準の理学療法までを含む)のグループとCIMT治療のグループの二つの群に分けました。CIMTグループのほうは、平日の毎日2週間、一日数時間の訓練を行いました。試験の両グループの参加者は、訓練直後と、その後4ヶ月、8ヶ月、12ヶ月の時点で、一連の動作処理を用いて腕の巧緻性の評価を受けました。また彼らには、日常生活の中でどれくらいの頻度で障害を受けた腕を使うかについての質問がなされました。総括するとCIMTグループの参加者は、訓練終了後1年を経過するまですべての評価ポイントで、障害を受けた腕の機能は明らかに改善していました。
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現在進行中の試験の予備結果
頚動脈再建術、内膜剥離術とステントの対比試験(CREST)
心臓の閉塞しかけた動脈に行われているのと同じように、動脈の拡張とステント留置のテクニックが、頸動脈内膜剥離術(頚部のどちらかの閉塞しかけた頸動脈を開けて拡張する外科的手術)の代替として非侵襲的に行われるようになってきました。この試験は、この二つの治療手技の安全性と有効性を比較するものです。一つの患者グループでは、標準的な頸動脈内膜剥離術を行います。そしてもう一つのグループでは、バルーンによって拡張した後に動脈内に金属の枠組み(ステント)を留置する方法を採用します。もしこのステント留置の安全性、有効性、持続性が証明されれば、より非侵襲的なこの方法は医療現場でもっと幅広く利用されていくと思われます。CREST試験に付随した小規模の研究で、脳卒中のリスクを増加させる特殊遺伝子を同定するための遺伝子的スクリーニングも行われています。この研究の中間的なデータによると、80歳以上の患者の場合、内膜剥離術で治療した患者よりステント術を行った患者の方で死亡率が高いことが示されています。
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進行中の臨床試験
閉塞頸動脈に対する試験(COSS)
この無作為臨床試験の目的は、頸動脈の閉塞とOEF(脳が動脈から酸素を抽出する困難度)増加の両方を示す脳卒中患者に対し、手術的な治療が予防的な効果を持つかどうかを検証することです。OEFの増加は、続発する脳卒中の強力な独立した危険因子となっており、25-50%危険率を高めます。頭蓋外バイパス術と呼ばれている手術手技は、健康な頭皮動脈を使って閉塞動脈の領域に側副路を増設し、脳への血流を増加させるものです。この試験では参加患者は無作為に、抗血小板薬(アスピリン、チクロピジン、クロピドグレルなどの血栓を防ぐ薬剤)による内服治療と、外科手術と抗血小板薬治療の両方を行う二つのグループに割り振られます。参加患者は脳卒中発症について平均2年間モニターされ、この脳卒中生存者のサブグループにおける脳卒中再発リスクを、手術治療によって低下させることができるかどうかを検証します。
心拍出量低下患者におけるワーファリンとアスピリンの比較試験(WARCEF)
この研究の目的は、拍出量低下を伴う心不全患者の脳卒中死亡を予防するために、ワーファリンとアスピリンのどちらの治療がより効果があるかどうかを検証することです。拍出量(EF)というのは心臓が1回の収縮で送り出す血液の総量です。拍出量低下は心不全患者の脳卒中リスクとなることが知られていますが、それは拍出量が低下すればするほど心臓から送り出される血液の量が減少するからです。この研究には数千人の低拍出量の患者が参加しており、ワーファリンかアスピリンの治療に無作為に割り振られます。3年以上の期間4カ月ごとに電話報告と身体検査による追跡が行われ、患者の健康状態と、脳卒中か心血管系疾患の発生についてモニターされます。データは治療効果における男女の差や、アフリカ系アメリカ人やその他の人種間での相違についても解析されます。この研究によって、心不全や拍出量低下を示す患者にとっての最適な脳梗塞予防の方法が解明されるでしょう。
皮質下小梗塞患者の二次予防(SPS3)
この試験では、皮質下の小梗塞(S3)を持つ患者の再発予防に関して、積極的な血圧コントロールに比べ抗血小板薬(アスピリンとクロピドグレル)の併用療法が有効かどうかを検証します。S3という梗塞は、脳内の糸のように細い動脈が閉塞して血流が遮断され生じるのですが、ヒスパニック系のアメリカ人の脳梗塞では最も多いタイプとなっています。S3を既往に持つ人たちでは、脳梗塞の再発、血管性認知症、認知機能の低下などの起こる危険性が高いといえます。この試験では2500人の患者(その20%はヒスパニック系のアメリカ人)が参加していますが、アスピリンとクロピドグレルの併用治療の群と、積極的な血圧治療の群の二つの試験グループに分けられます。参加した患者には、3か月毎3年間の追跡調査が行われます。S3後の抗血小板薬の併用療法について、また脳梗塞後の最適な血圧管理レベルについて、あるいはヒスパニック系アメリカ人における脳卒中と認知症の予防について、などの研究は過去に例がありません。この試験の結果によって、S3患者の最適な脳卒中再発予防の手段と、ヒスパニック系アメリカ人でその違いがあるのかどうかについて、解明の手掛かりが得られるでしょう。
脳卒中治療におけるマグネシウムの効果試験(FAST-MAG)
この三相にわたる試験では、脳卒中後の脳組織の二次的ダメージを防ぐための手軽に投与できる神経保護薬について検証します。動物実験では脳組織の損傷を防ぐ効果のある多くの神経保護薬が有効性を示していますが、即座に充分な量の治療薬を投与することが困難なために、人間を対象としたフェーズVの臨床試験は行われませんでした。この計画の初段階では、急性期脳卒中の症候を示した患者に対しすぐに神経保護薬(硫酸マグネシウム)を投与し、病院での治療としての安全性、実行性、有効性などについて評価します。フェーズUでは、硫酸マグネシウムかプラシーボを無作為に投与されるフェーズV試験の治療基準を確立します。最終段階では、病院に到達する前に投与される早期治療群と、病院に来て初めて投与を受ける治療群との比較試験を行います。もしも早期治療の実行可能性と有効性が証明されれば、病院到着前に投与することの有用性がより多くの病院施設で示されることになるでしょう。こうした試験の結果によっては、治療における新しい救命基準ができる可能性があります。
脳卒中後インシュリン抵抗性介入試験(IRIS)
脳卒中の初発から5年以内に生存者の25%に新たな脳卒中が発症し、10%に心臓発作が起こり、それとは別の12%はこうした二つの疾患が絡み合って死亡します。抗血小板療法、血圧とコレステロールの治療、閉塞動脈の外科的手術など、現在の治療戦略にも明確な効果が認められていますが、脳卒中の再発と心臓発作の確率を完全に低下させるものではありません。この試験では、インシュリン抵抗性が脳卒中と心臓発作のリスクを高めているという事実に基づき、これに対する治療を検証します。この試験のゴールは、2型糖尿病に使用される治療薬のピオグリタゾンが、新たな脳卒中を発症したインシュリン抵抗性を示す男女において、脳卒中と心臓発作の危険率を低下させるのに有効であるか否かを決定することです。脳卒中の生存者の約半数はインシュリン抵抗性を示していますので、もしこの治療が有効であれば、多くの脳卒中患者にとっての福音となり得ますし、頸動脈内膜剥離術や抗凝固療法に代わる選択肢となる可能性があります。
脳卒中血管内治療試験(IMSV)
IMSV試験は、脳血流の再開のための二つの異なった治療法を比較する多施設試験です。この試験での一つの治療法は、経静脈的投与についてはすでにFDAから認可を受けた血栓溶解剤であるt-PAによるものです。この治療法と、あらかじめ少量のt-PAを腕の静脈から注入した後もなお脳内の動脈に血栓が確認された場合に、カテーテルという細いチューブを通して血栓近傍の動脈内にt-PAを注入するという新しい方法と、どちらの結果が良いかを比べます。どちらの治療も脳卒中発症後3時間以内に行われます。試験では、脳卒中発症後3カ月の時点での患者の生活能力と機能が別々に測定されます。この試験の結果、従来のt-PAの静脈内投与治療に対し、静脈/動脈内の併用治療の安全性と有効性が比較検証されることになります。
未破裂脳動静脈奇形の無作為試験(ARUBA)
脳動静脈奇形(AVM)というのは、動脈と静脈が異常に絡み合った生まれつきの血管系の疾患です。これらは脳内や脊髄に発生し、症状が出る場合もありますが、特に出血(破裂)しない限り症状の出ない場合もあります。AVMが破裂したときには手術的な治療をすべきであるとする多くの根拠がありますが、未破裂のAVMを持つ患者に対しての最上の治療法については医師も判断に迷います。将来の破裂を予防するために手術をするべきでしょうか? あるいはAVMが破裂しないチャンスにかけてそのまま様子を見るべきでしょうか? この無作為試験には80の施設の800人の未破裂AVM患者が参加しており、保存的か手術的かのどちらかの治療を行い、5年間のフォローアップを行います。この試験の結果によって、未破裂のAVMを持った人に対する最良の治療法が明らかとなり、判断に迷うことのない治療基準を医師たちに与えることになるでしょう。
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10.どんな治療がありますか?
脳卒中患者の最良の治療計画を決定する際において、臨床医は幅の広い治療法の選択肢を持っています。患者が受けるべ き脳卒中の治療は、病期によって異なってきます。一般に、脳卒中の治療は三つの段階に分けられます。即ち、予防、脳卒中直後の治療、そしてリハビリテーションの三つです。脳卒中の初発や再発を予防する治療というのは、高血圧症、心房細動、糖尿病など、個々人が持っている脳卒中のリスクファクターの治療に基
づいています。或いは、危険因子の有る無しに拘わらず、誰においても虚血性脳卒中の原因となる血栓というものの形成を防ぐことが、脳卒中の予防となります
。急性期の脳卒中治療は、原因となっている血栓を速やかに溶解すること、或いは出血性卒中の場合には出血を止めることによって、脳卒中の進行を止めることです。脳卒中後のリハビリテーションの目的は、脳卒中による後遺障害を克服することです。
脳卒中の治療には、薬物治療、手術、リ ハビリテーションがあります。
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11.付記
虚血性連鎖
脳は人体の中で最も複雑な組織です。脳には1000億個の細胞があって、それらが複雑なネットワークを形成して情報伝達をしています。脳には色々な細胞がありますが、その中でも一番重要なのが神経細胞です。脳内の神経細胞の組織構造とその間で行われる情報伝達が、思考、記憶、認知、覚醒などを生み出します。もう一つの細胞のタイプにはグリア(ギリシャ語で「糊」を意味します)細胞と呼ばれるものがあります。こうした神経組織の支持細胞は、生きた神経細胞の基盤となって神経細胞を支え、感染、有毒物質、損傷などから守っているのです。グリア細胞は脳血液関門を構成し、血管と脳内物質との間のバリアーとなっています。
脳卒中というのは、血流が途絶えることによって脳細胞が障害を受け、突然の麻痺が出現するものです。血管の閉塞によって生じる損傷は数分以内に出現し、脳卒中の症状が発現した後も、一連の化学反応の過程とともに数時間にわたって進行していきます。脳卒中の恒久的脳損傷に至るこの一連の化学反応を、医師と研究者は虚血性連鎖と呼んでいます。
一次細胞死
虚血性連鎖の第一段階は、脳の一部で血流が遮断されることです(虚血)。これによって酸素の欠乏(無酸素状態)と栄養素の欠乏が、虚血中心部の細胞内で発生します。酸素の欠乏が極点に達すると、細胞内のエネルギー産生構造であるミトコンドリアは、細胞が機能するために必要なエネルギーを産生できなくなります。ミトコンドリアが崩壊すると、フリーラジカルという有毒化学物質を細胞内に放出します。こうした有毒物質は細胞を内側から破壊し、核を含む細胞構造全体を壊滅します。
細胞内のエネルギーが枯渇すると、正常のときにはホメオスターシスを維持している細胞膜の開閉扉の付いた交通路が開放されて、中毒量のカルシウム、ナトリウム、カリウムなどが細胞内に流入します。それと同時に、障害を受けた虚血細胞はグルタミン酸などの興奮性アミノ酸を神経細胞の空間に放出し、その結果周辺細胞の異常興奮を惹起して損傷を与えます。ホメオスターシスの欠如に伴い、水分が細胞内に流入して細胞を膨張(細胞中毒性浮腫と呼ばれています)させ、内圧の上昇により細胞膜が破綻します。この時点で神経細胞は永久的なダメージを受け、すべての意味において細胞死(壊死と梗塞)を迎えます。脳卒中が発症すると、初期に死にいたる細胞は4-5分以内に死んでしまいます。脳卒中の発症から2時間以内に血流を復活させるような治療が効果を示すことを考えると、大半の症例ではこの過程が少なくとも2-3時間は継続するものと考えられます。それを過ぎると極めてまれな例外を除いて、細胞障害は恒久的なものになってしまいます。
二次的細胞死
壊死性細胞から細胞間スペースに放出される大量のグルタミン酸、酸化窒素、フリーラディカル、その他の興奮性アミノ酸に曝されると、周辺の細胞は存続が困難になっていきます。そうした細胞は生存のための最低限の酸素しか脳血流(CBF)から受けていません。危険にさらされた細胞は、低エネルギー状態で数時間生存することができます。現在では2時間ぐらいと考えられていますが、もし幸運にも血流がこのわずかな時間内に復活すれば、こうした細胞は助かって元通りの機能を取り戻す可能性があります。NINDSの支援する研究者たちによって、脳卒中発症後3時間以内にt-PAという血栓溶解剤を投与すれば、こうした細胞への血流が回復できる可能性のあることが判りました。
炎症と免疫反応
無酸素状態で壊死した細胞が生きている脳組織に障害を与えている一方、人体の免疫システムは血管系を通じて炎症反応を引き起こし、脳を傷害します。血栓や出血の生じた部位の傷害された血管は、その部位に炎症性物質を寄せ集めます。最初に集まる血液成分の中に白血球があり、この白血球の表面は障害を受けた血管の内壁に付着するための免疫蛋白質で蔽われています。白血球は付着したあと内膜を貫通し、血液脳関門を通り抜け、脳組織に浸潤して脳細胞をさらに傷つけて死に至らしめます。単細胞と貪食細胞という白血球は、炎症性物質(サイトカイン、インターロイキン、組織壊死因子など)を放出します。こうした化学物質は抗凝固因子を阻害し、組織プラスミノゲン活性化因子を妨害することによって、人体固有の血栓溶解機能の作用を不活化させます。NINDSの研究者は現在、脳卒中の過程で起こる炎症反応によって生じたサイトカインやその他の化学物質の影響を抑制するために、新たな治療法を作り出そうと努力しています。
脳血流の不足(虚血)の中で機能を停止しているこうした脳細胞は、虚血性ペナンブラというものを形成します。こうしたまだ生きている脳細胞の領域は、死んだ脳組織(脳梗塞と呼ばれている)の内部や周辺にモザイク様の形で存在します。
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